僕たちは10年ぶりに中国広州へ向かうことにした。妻が2010年6月に日本円500万円を中国元に両替し、現地の定期預金と保険商品に投資してから、ようやくその資金を取りに行くための旅だ。このお金は、僕たちにとって大切な将来への投資であり、ようやくその成果を確認できる時が来た。
広州は、僕たち家族が2006年から2010年まで住んでいた思い出深い場所。再び訪れる機会が来たことに、少しの興奮と懐かしさが入り混じっていた。日本の羽田空港からANAの便に乗り込み、旅が始まった。
かつては頻繁に搭乗していた便だけれど乗るのは久しぶりで、空の上から見える景色を眺めていると、かつての時間の流れが頭の中でよみがえってきた。広州での生活、仕事、家族と過ごした日々。
そして何よりも、妻が当時決断して投資したお金が、どれだけの成果をもたらしてくれたのかという期待。約4時間のフライトはあっという間に過ぎ、広州白雲国際空港に到着した。空港の雰囲気は少し変わっているかと想像していたが特に何も変わったものはなかった。
どこか懐かしい香りが漂っていた。入国審査を通過し、荷物を受け取った後、予め手配していた送迎車に乗り込みホテルへと向かう。予約したホテルは、かつて僕たちが住んでいたエリアの近く。あの頃は広州の喧騒と共に日々の生活を送っていたが、今は観光客としてこの街に戻ってきた。
タクシーの窓から外を眺めたが、14年間経過したはずではあるが、「激変した!」と言いたかったが、実際はそれほど変わっていなかった。見たことがある場所があちらこちらにあり、心の中で感慨深くその風景を追っていた。
宿泊場所はかつて勤務していたオフィスビル隣の商業ビルの中にある高級サービスアパートメント。広州での生活がよみがえるようだった。当時の僕は現役サラリーマンとして、この街を中心に活動しいたからだ。
この旅の目的は、14年前に妻が決断した投資の成果を取り戻すこと。それは単なるお金の回収ではなく、かつて、僕たち家族の未来のために選んだ道が、どのような形で報われるのかを確かめる瞬間だ。
14年越しの同志たちとの再会
到着した日の夜、かつてサラリーマン時代に同じオフィスで働いていた仲間たちとのディナーが待っていた。現在進行系で深センオフィスに駐在員として勤務しているNさんが、広州に来てくれた。さらにサプライズで「かつての同僚たちも参加します。誰が参加するかはお楽しみに」ということで、どんな面々が集まるのか、心の中で期待が膨らんでいた。
ディナー会場として選ばれたのは、山東料理のレストラン。店に入ると、そこにはかつて中国現地で共に働いた同志たちが集結した。営業とマーケティングの右腕と左腕、生産部隊を支えていた主要メンバー、そして会計担当の頼りになるスタッフたちが、参加してくれた。
この光景を目の前にして、時間が巻き戻されたかのような気持ちになった。宴は和やかに始まり、まずは懐かしい思い出話から。当時の僕たちは、中国本土での市場攻略に全力を注ぎ、幾多の困難を乗り越えてきた。
あの頃、共に働いていた時の情景が蘇り、次々と語られるエピソードに笑いが絶えなかった。当時のプロジェクトの成功や苦労、そして忘れられない瞬間の数々。皆がそれぞれの思い出を語る度に、時が経つのは早いものだと改めて感じた。
その後は、現在の生活や仕事の話に移り変わり、かつての同僚たちが今何をしているのか、どんな場所で活躍しているのかを聞くことができた。Nさんは一度日本に帰国した後、再び深センオフィスに再赴任。ジェネラルマネージャーとして今も精力的に現役で働いており、他のメンバーもそれぞれの道で頑張っている様子だった。
客先や当時の取引先も、今どうなっているのかという話題にもなり、それぞれの成長を感じられる一時となった。僕自身、会社を離れて以来英語や中国語を使う機会がなかったが、会話を進めていく内に自然と馴染んでいった。
みんなと過ごすこの時間は、まさに14年前にタイムスリップしたかのような感覚だった。ディナーの終わりが近づいても、話は尽きることなく、再びこうして広州で、かつての仲間たちと時間を共有できることに感謝しながら、その夜は名残惜しくも幕を閉じた。
一度宴をお開きにした後、Nさんと僕は2次会へと向かうことにした。選んだ場所は、少し落ち着いた雰囲気の日本料理レストラン。店に入ると、静かで居心地の良い空間が広がっていた。話題は最近のアニメや転生系漫画に移っていった。
Nさんも僕も、当然ながら漫画やアニメが好きで、今でも最新の作品を追いかけている。最近では転生系の作品が大ブームとなっており、その中でもお気に入りのタイトルを語り合うことに。異世界転生の設定の奥深さや、キャラクターの成長、ストーリーテリングの巧妙さについて、熱心に語り始めると、時間を忘れるほどだった。
最新のおすすめ作品から昔の名作まで、幅広く語り合っていた。「次に読んでほしいのが、この作品なんだ」とNさんがスマホを取り出して紹介してくれた。また新しい物語に触れることを楽しみだ。ちなみに、僕が日本から海外に出たときの様子が、異世界転生モノの主人公たちとは既視感がある。
広州滞在2日目:銀行業務の試練
広州滞在2日目、この日は、香港支社勤務時代の先輩であり、今では香港と中国本土で独立し、口座開設や金融投資のサポートを行っているミスタタマリが、香港からわざわざ広州まで来てくれた。彼の助けがあれば、スムーズに進むだろうと楽観していた。
ミスタタマリと合流し、僕たちは朝11時に中国銀行の支店に向かった。目的はシンプルだった。まずは妻の中国銀行の口座に関連するパスポート情報を更新し、携帯電話番号も変更するという手続きだ。これだけの作業であれば、1~2時間もかからないだろうと考えていた。
しかし、現実はまったく違っていた。銀行に着いてからすぐに手続きを開始したものの、窓口の行員が向かうシステムの遅さに翻弄される。順番を待つ時間が長かったわけではなく、僕たちの手続きを4人の行員が担当していたのだが、なぜか一つひとつの処理に異常なほど時間がかかっていた。
気がつけば、時計の針はすでに午後を回っていた。それでもまだ手続きは終わらない。僕たちはただ座って待つしかなかった。やっと終わるかと思ったところで、確認作業が入る。。。なんと、パスポート情報と携帯番号の更新だけで、銀行に入ってからすでに6時間以上が経過していた。午後5時半、ついに手続きが完了した。
しかし、その日重要な目的の一つ「定期預金の解約」は、結局時間切れで行えなかった。さすがにこれはあり得ないと感じた。唯一の救いは、支店のマネージャーがサポートに入ってくれたことだった。マネージャーの配慮で、保険会社にも連絡が取られ、本来保険会社が17時半閉店のところ、僕たちの到着を待っていてくれることになった。
銀行を後にして、急いで保険会社に移動して、保険の解約業務を進められた。保険の解約手続き自体は比較的スムーズで、ほとんど時間がかからなかったが、それまでの疲れが一気に押し寄せるような感覚だった。最終的にすべての手続きが完了したのは、夜の19時。まさか朝11時から始めた手続きが、夕食の時間にまで食い込むとは思ってもみなかった。
この日は、銀行の業務の遅さに耐える試練の一日だった。何も大したことをしていないのに、8時間も費やす羽目になった。中国銀行の手続きの効率の悪さには驚きを禁じ得なかったが、それでも無事に
・パスポートなど個人情報の更新
・普通預金の残高確認
・定期預金の残高確認
・保険の解約
ミッションコンプリートとは至らなかったが「最低限」までは完了できたと思う。
14年越しの投資の結果は!?
長い銀行手続きの結果、僕たちはついに妻の14年越しの投資の結果を確認できた。2010年6月、僕たちが広州に住んでいた頃、妻は日本円500万円を中国元に両替し、その一部を定期預金、そしてもう一部を保険に投資していた。
あれから14年と3ヶ月が経ち、どのような成果が待っているのか、期待と緊張が入り混じった気持ちで数字を確認した。2010年当時、500万円を中国元に両替すると約35万元だった。そのうち、15万元を中国銀行の定期預金に、さらに15万元を中国銀行の窓口を通して元本保証型の陽光保険集団(SunshineInsuranceGroup)の保険に投資し、残りは現金として保有していた。
年月が経ち、その投資がどのように成長していたのか、僕たちはようやくその結果を知ることになる。まずは中国銀行の定期預金。14年の間、元本は15万元から21万6,490.02元に増えていた。元本に対して6万6,490元の利息が加算されている。
この数字を見た瞬間、僕たちは小さく息をついた。14年という長い年月で着実に増えていたことに安堵感を覚えた。次に、陽光保険集団の保険。こちらも同じように15万元を投資していた結果、21万1,187.50元に増加。こちらも6万1,187元の増益となった。
2つの投資で総額42万6,677.52元に増え、そして現金で保有していた5万6,050元を合わせると、総額は48万2,727元。9月14日時点の日本円に換算すると、合計で約958万4,785円となった。14年前に投資した500万円が、ほぼ倍に成長していたのだ。この結果に、僕たち夫婦は小さな達成感を感じた。
「まあ、元本保証型の投資だから致し方ないよね・・・」と。長い年月を経て、資産は着実に増え、今この手にある現実として受け取ることができた。しかし、次に考えなければならないのは、このお金をどのように日本へ持ち帰るかということだ。
中国の資本規制の問題から、一度に多額のお金を持ち出すことはできない。中国から日本へ持ち出せるのは、1回の渡航につき1人2万元まで。そして、日本でATMカードを使ってATM機から引き落とせる金額は、1日1万元、1年合計で10万元。中国から妻の金額を全て移動させるためには、5年間ほどかかりそうだ。
この旅の目的は達成され、妻の投資は成功裏に終わったと言えよう。銀行からホテルへ戻る道中、僕たちはこの成果を味わいながら、次にどのようにこのお金を活用していくかについて話し合った。
この広州への旅は、14年前の決断と、それに続く年月が実を結ぶ瞬間を迎えるものであり、感慨深いものであった。そしてこの街での思い出、仲間との再会、そして中国での生活を振り返る中で、僕たちの旅はひとつの区切りを迎えた。