「天才」と「お金持ち」の間には隔たりがある

メンターの教えによって、僕は驚くべき真実を知ることになりました。それは、「お金持ち」になるためには、学歴や職歴、年齢や性別、そして何より「天才的な才能」は一切関係ない、ということです。

世の中には、確かにその「天才性」を存分に発揮して、修羅の如く高い収益を上げる者たちが存在します。彼らの名を挙げるなら、楽天の三木谷氏やソフトバンクの孫氏などが、まさにその代表例でしょう。

しかし、そのような存在であっても、凡人から見れば華々しい成功者に見えても、彼らの内情は決して安泰とは言い切れません。才能の有無は、実のところお金を稼ぐための絶対条件ではありません。むしろ、才能に頼りすぎることは、往々にして逆効果となる場合が多いのです。

なぜなら、天才たちは自身の好き嫌いや得意・不得意に基づいて行動を選ぶ傾向が強いからです。苦手なことに直面すれば、それがたとえ「お金持ち」になるための必須条件であったとしても、簡単にそれを放棄してしまうのです。

僕たちのような「凡人」にとっては、この点こそが最大の強みと言えるでしょう。僕たちは、才能に頼らず、必要なことを淡々とこなしていく生き方を知っています。好き嫌いや得意不得意に左右されず、「お金持ち」になるために必要なパーツを集め、必要なことだけを確実にこなす。

それさえできれば、才能に頼って迷いの多い「天才」たちをも凌駕する可能性を秘めているのです。必要なことを、確実に、淡々と。その積み重ねが、最終的には「お金持ち」への道を照らすことになるのです。

何をやっても凡才だった学生時代

僕自身の人生において、これまでに成し遂げた何かしらの「成功」と呼べるものは、実のところ、自らの独力で勝ち取ったものはほとんどありません。なぜなら、僕は生まれながらの天才的な才能を持ち合わせていなかったからです。

勉強も、スポーツも、習い事も、才能面を見るとすべてが中途半端でした。何かに取り組んでも、それは「やっていない人」よりは少しはできるようにはなりましたが、上には上がいることを常に思い知らされました。結局、凡庸なレベルでしか結果を出せなかったのです。

そのため、僕は自分の能力を幼い頃から信じることができませんでした。しかし、だからこそ、小学生の頃から、自分よりも優れた者に「どうやったらうまくなるのか?」と尋ねる習慣を持つようになりました。

先生、先輩、同級生、年齢も立場も関係なく、自分よりもできる人から教えを請い、教わったことを実践して結果を出す・・・それが僕のスタイルでした。長年、自力で何かを成し遂げるということを試みたことは一度もありません。

実験と検証、試行と錯誤を繰り返し、何かを探求することなど、僕には無縁でした。なぜなら、僕が自力で取り組んだことは、いつも失敗に終わったからです。それでも、「欲しい」と思ったものは、できるだけ早く手に入れたいという欲望だけは衰えませんでした。

だからこそ、僕は常に「どうすればできるのか?」と人に尋ね、その際に頭を下げることをためらうことはありませんでした。そのおかげで、48歳となった今でも、天才的な能力は何一つありませんが、それでも経済的な成功を手に入れました。

僕は日本で就労人口の中で「上位1万分の1」に入る経済力を持っているかもしれません。頂点に君臨するような存在ではありませんが、家族と自分が選択肢を持ち、豊かに生きていけるだけの力は得たのです。天才でなくとも、シンプルな方法で「成功=幸せ」に到達することができる。そのことを、今、強く実感しています。

天才的な才能を持つ者の宿命的な弱点

年齢を重ね、今改めて理解できることがある。それは、「天才」と呼ばれる者たちには、彼らなりの致命的な弱点が存在し、それを克服している「天才」に出会うことは、実に稀であるということです。

たとえば、ビジネスの世界においても「稼ぐ天才」は多く存在しています。彼らは、その天賦の才覚によって、他者が到達し得ない領域まで売上を伸ばし、収入を上げることができかもしれません。けれども、彼らが本質的な意味で「お金持ち」と言えるかどうかは、決してそうではないようなのです。

売上高は驚異的だが、会社には十分なキャッシュがない。年収は高いが、個人の資産は心許ない。このように、天才的な能力を発揮して経済的成果を誇る者たちの多くは、共通してお金を残すことができていないのです。

営業やマーケティングの才覚で、驚異的な成績を叩き出しても、資金を残し、それをさらに増やす術を知らずにいたりします。確かに、売上や利益が高ければ、ビジネスは一時的には回り続けるでしょう。

年収が多ければ、高級マンションに住み、贅沢な暮らしを維持することもできるかもしれません。しかし、多くの場合、その内情は実に脆弱です。何か一つの外的要因でビジネスの風向きが変わり、売上が急停止したらどうなるのか?

そこに潜む穴は、あまりにも大きく、彼ら自身も気づかぬままに膨らんでいる。天才たちは一見すると凄まじい勢いで成功への道を駆け抜けることができるように見えます。しかし、道中にある見えない障害物に足を引っ掛け、派手に転倒してしまうリスクもまた彼らに付きまとっています。

加えて、得た資金を元に投資を行い、更なる利益を生み出そうとしますが、大規模な失敗を犯すことも珍しくない。これは、彼らが自分の天才的な能力に過信していたり、頼り切っていたり、どうしてそれができるのか?自己分析はできていないですし、第三者の助言や警告に耳を貸さないからです。

弱点は、他者の言葉を聞かないということにいきつきます。子供時代から自分の才能を活かして数々の成功を収めてきた経験が、その傲慢的な考え方を生み出してしまうのかもしれません。しかし、現代社会において必要とされるのは、もっと高度な設計図であり、ビジネスや投資の世界で長い年月継続的に勝ち続けるには、他者の知恵や戦略を取り入れる謙虚さが欠かせないのです。

凡人としての道を歩みつつ、勝者となるために

とは言え、凡人なら、素直にできる第三者に頭を垂れて、訓えを請うことができるのか?というと、残念ながらそんなことはありません。ともすれば、天才的な才能を発揮されている方々よりも。

頑固一徹、自分の価値観に基づいた、好き・嫌い、得意・不得意謎の基準でガチガチになっている状態で。頑として、「今の自分を変えてなるるものか!」と言わんばかりに。できる第三者から学ぼうとしない。

今までの人生の延長の範囲で、取れるものだけを取る。そんな状態に、陥ってしまっているのです。天才的な才能を発揮できる方々は、高度な設計図が必要とされるフィールドでは極端に弱いけれど。それでも、自分の得意分野では、結果を出すことができるかもしれない。

けれども、天才的な才能を持ち合わせない凡人は。そういう、ラッキーパンチさえ、発生しないので。永遠にうだつが上がらない状態に陥り続けてしまいます。

こうして世の中では、大多数の天才的な才覚を持たないのに、変わろうとしない学ぼうとしない単なる凡人のままの方々。ごくごく一部、天才的な才能を持って、才能とビジネスや投資がピシャっとハマっている間だけガツンと稼ぐことができるけれども。

高度で継続性の求められるビジネス・投資の活動では、いつ「飛んでイスタンブール」に陥ってしまってもおかしくない方々。大多数が、負けるべくして負ける状態に陥ってしまっている。そんな中、例えば僕たちが、平々凡々な凡人だとしても、正しい設計図を選択して、設計図を正しく解釈して、設計図通りに、取り組むことができれば。

変わらない凡人変わらない天才彼らに打ち勝ち、「修羅レベル」の結果を、継続的に叩き出し続けることが可能になるのです。ということで、「凡人だからこそ、変わるために学べ!」学歴・職歴・性別・年齢・才能関係なく。これだけやっていけば、そもそも論で、まともに戦わずして、大多数の方々に勝ち続けることができるのです。

そして、日本で1万人位にランクインできれば、戦わずして「億り人」になれます。特に、凡人こそ集中して学び、極めなければならないのは、「北の物販大富豪の戦略術」です。凡人生まれ、凡人育ちの凡人の僕たちにとって、最高の勝ち方へとつながります。

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