『「シリコンバレー」発祥の地(日本語・訳)このガレージは、世界初のハイテク地域「シリコンバレー」の発祥地です。

この地域のアイデアは、スタンフォード大学の教授であったフレデリック・ターマン博士により提唱されました。彼は学生たちに、東部の既存企業に就職するのではなく、この地域で自分たちの電子機器会社を設立するよう奨励しました。

その助言に最初に従った2人の学生が、ウィリアム・R・ヒューレットとデビッド・パッカードでした。彼らは1938年、このガレージで最初の商品である音声発振器の開発を始めました。

カリフォルニア州登録歴史的ランドマーク No. 976この銘板は、カリフォルニア州公園レクリエーション局がヒューレット・パッカード社と協力し、1939年5月19日に設置したものです。』

レンタカーで、住所:367 Addison Ave, Palo Alto, CA 94301パルアルトに訪れました。ここには、一軒家とその前に銘板が建てられていて、上記の日本語・訳のように、Birthplace of Silicon Valley(シリコンバレー誕生の地)であることが記されています。そして、左奥を覗いてみると、小さなガレージがあります。ここは「聖地巡礼」にとって、外せない地の一つです。

元祖スタートアップ。「小さなガレージの伝説」の舞台、世界中のIT系起業家たちの中で、特にインスピレーションを与えた物語があります。1938年のカリフォルニア州パロアルトにある静かな住宅街の一角、小さなガレージから始まります。スタンフォード大学の教授だったフレデリック・ターマンは、学生たちに東海岸の大企業へ就職するのではなく、地元で自分たちの技術を活かした会社を興すように奨励しました。

この助言を胸に、2人の若者、ウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードが動き始めます。彼らは、パッカードが所有する自宅の裏庭にあるわずか3.7メートル×5.4メートルほどのガレージを拠点に選びました。そこが「ヒューレット・パッカード(HP)」の誕生地となり、やがてシリコンバレーという世界最大の技術革新の地の象徴となるのです。

ガレージから世界のリーディングカンパニーへ

2人は、技術的な情熱とわずかな資金をもとに、最初の製品である「オーディオ・オシレーター」を開発しました。この機器は、映画業界の音響テストのためのもので、ウォルト・ディズニーが映画『ファンタジア』の制作に使うために購入したのが最初の大口注文となりました。

この契約が、HPを軌道に乗せる大きなきっかけとなります。さらに、1943年に、マイクロ波市場に参入。1956年にはオシロスコープを製品化し、計測器メーカーとなりました。HPは計測器の会社として業界のリーディングカンパニーになりました。当時、モノを測るということは、設計にとっても製造にとっても非常に重要で。世界最高レベルの精密さでモノを計測できる機械を作ったことで、HPは市場を席巻し、企業として成長するきっかけになったのです。

計測器市場への参入と成長で、テクノロジー企業への一歩を踏み出したHP。現在につながるコンピューターの先駆けとして、複雑な計算を行うための関数電卓を世界で初めて生み出したのも同社です。1968年に世界初の卓上関数電卓「HP 9100A」を発表した際に、「パーソナルコンピューター」という言葉を初めて使ったのもHPだと言われています。

研究所であるHPラボが設立されたのは1966年のこと。そこでさまざまな基礎研究を行いながら、新製品を次々と生み出していきました。この物語が特別なのは、ガレージという小さな空間が、単なる作業場所を超えて、夢と挑戦の象徴になったからです。このガレージには、高価な設備も広いスペースもありませんでしたが、そこにはアイデアと情熱、そして挑戦を恐れない精神がありました。

多くのIT系起業家にとって、このガレージは「どんなに小さな場所からでも、世界を変えるものを生み出すことができる」というメッセージを、今日まで伝承しています。今回僕が「聖地巡礼」した、このガレージは「シリコンバレーの発祥地」としてカリフォルニア州登録歴史的ランドマークに指定され、保存されていました。ただし、現在は一般の方が賃貸で住んでいるようで、中への立ち入りは禁止です。銘板に向かって「合掌」。

META(Facebook)の看板裏の秘密

レンタカーで、同州、メロンパークにある、企業の広大な敷地に到着しました。その玄関口には、Meta(旧Facebook)の大きな看板が堂々と立っています。しかし、その看板の裏側を覗いてみると、時を超えて今もなお『サン・マイクロシステムズ(Sun Microsystems)』のロゴが残されていました。

ここには、単なる看板以上の意味を持つ「シリコンバレーの光と影」を象徴する物語が秘め隠れています。始まりは1982年。当時、サン・マイクロシステムズはスタンフォード大学出身の技術者たちによって設立されました。革新的なワークステーションやJavaプログラミング言語の開発により、サン・マイクロシステムズはシリコンバレーを代表する企業の一つとなり、「ネットワークがコンピュータだ」というビジョンを掲げ、インターネット黎明期を牽引しました。

その輝かしい時代、サンのキャンパスはエネルギーと希望に満ち溢れ、多くの技術者たちが夢を追いかける場でした。しかし、テクノロジーの世界は絶え間ない変化の中にありました。2000年代に入り、ITバブル崩壊や市場の変化、競争の激化により、サン・マイクロシステムズは、次第に苦境に立たされます。

そして2010年、サン・マイクロシステムズはオラクルに買収され、その名前は表舞台から消えることになりました。その後、2011年、Facebookが急成長の末にこの土地を取得し、新たなテクノロジーの時代を象徴する拠点として再スタートを切ります。巨大なFacebookの看板が掲げられる中、サン・マイクロシステムズの看板はその裏側にそのまま残されました。

そして、社名&看板表記がFacebookからMETAに変更された今なお、その裏側に残されています。それはMETAの創業者・CEOザッカーバーグによる意図が込められているとのことです。「サン・マイクロシステムズは、かつてシリコンバレーの巨人だった。」その事実を、ザッカーバーグはMetaの社員たちに忘れてほしくないと考えました。

このサン・マイクロシステムズの衰退をただの過去の出来事としてではなく、現在進行形の教訓として捉えていました。そして、Meta(Facebook)がこの土地を購入した際、「看板を完全に取り替えるのではなく、裏側にサンのロゴを残しておこう」という決断を下したのです。

「これは、私たち全員へのメッセージだ。」ザッカーバーグは社員に向けてこう語りました。「サン・マイクロシステムズのように、私たちもかつての成功に甘んじ、変化を怠れば、同じ運命を辿ることになる。今日の成功が永遠に続くわけではない。私たちは進化を続け、常に挑戦を忘れないようにしなければならない。」

Metaの社員にとって、この看板は単なるランドマークではなく、日々の緊張感を呼び覚ます存在となっています。油断や怠惰が許されない環境を象徴しているのです。彼らがオフィスに入るたび、サン・マイクロシステムズのロゴが背後にあることを思い出すことで、自分たちの責任の重さを感じるのです。

「成功を守るには、挑戦を止めないこと。進化を続けなければ滅びる。」それが、この看板が伝えるメッセージです。「サン・マイクロシステムズのロゴを見たとき、社員たちは一瞬立ち止まり、自分たちがどこから来たのか、そしてどこに向かうべきかを考えるだろう。」そう語ったザッカーバーグの姿勢は、Metaの中に強く息づいています。

そしてこの看板は、単なる装飾品ではなく、シリコンバレーの未来を形作る挑戦の象徴として、今もなおMetaキャンパスに立ち続けているのです。「聖地巡礼」「META」の看板の裏側にある『サン・マイクロシステムズ』向かって「合掌」。

デジタル小作人から未来を切り開く開拓者へ

僕たちは日々、シリコンバレーが生み出したモノやサービス、情報を使い、ビジネスや投資で収益を得る生活をしています。Googleの検索エンジンで市場をリサーチし、Appleのデバイスで効率的に仕事をこなし、MetaのSNSで人とつながり、Amazonで必要なものを素早く手に入れる。それらの便利さに支えられ、僕たちはこれまで数々の成果を上げてきたと思います。

しかし、今回シリコンバレーに「聖地巡礼」しに来たことで、心に疑問がよぎりました。「自分の成果は本当に自分の力で得たものなのか?それとも、シリコンバレーが作った仕組みに生かされているだけなのか?」と。便利さに頼りきった生活は楽で効率的ですが、その一方で「この便利さがもし消えたら、自分は何ができるのだろうか?」という不安が頭をよぎるようになりました。

そこで目にしたのが、Meta(旧Facebook)の看板の裏に隠された「サン・マイクロシステムズ」のロゴでした。その話を聞き、僕は胸に雷が落ちるような衝撃を受けました。サン・マイクロシステムズは、かつてシリコンバレーを代表する企業でした。その技術と製品は、時代の最先端を走り、多くの人に影響を与えていました。

しかし、時代の変化に対応しきれず、競争に敗れ、やがて市場から消えました。その跡地にはMetaのキャンパスが建ち、看板の裏にはサンのロゴが今も静かに残っています。その光景を見て、僕は思いました。「成功に甘んじてはいけない。変化を恐れてはいけない。進化を止めた者がどうなるのか、この看板は教えてくれている。」と。

看板に合掌するとともに、改めて自分の姿勢を見直すことにしました。シリコンバレーが提供するサービスを便利に使いこなすだけで満足していました。しかし、それだけでは「おんぶにだっこ」で生かされているだけの存在です。それでは、いつかシステムの変化に飲み込まれ、埋もれてしまう。

だからこそ、「最大限に活用しつつも、依存しない」自分を作り上げなければならないと思いました。いかがでしょうか?今目の前にある「ケイタ式」「ロイ式」などのビジネスも、最大限に活用して。会社法人の仕組みを最大限に活かして、銀行融資の仕組みへと転じるところまで、しっかりとやり込むことが求められると思います。

また、「米国株式投資」においても、単なる情報収集にとどまらず、自分の視点を磨き、他人に依存しない分析を心がけることが重要だと思います。これらの取り組みを通じて、僕たちは「デジタル小作人」から脱却し、「デジタル開拓者」としての道を歩むことが求められると思います。

シリコンバレーの巨人たちが作ったシステムを利用しながらも、その枠を超え、自分の力で未来を切り開いていく・・・それこそが僕たちの目指すべき姿ではないでしょうか?「油断するな」「進化を止めるな」というメッセージ。この言葉を胸に刻みながら、僕たちはこれからも自分たちならではのフィールドを耕し、次なる挑戦に向けて歩み続けたいですね。成功は一時のもの。進化し続けることこそが、未来を生き抜く唯一の道だと信じています。