冬の朝。カーテン越しに射し込む淡い光が、寝室をぼんやりと照らしていた。ピピピ、ピピピ、ピピピピピピピ。目覚まし時計が無機質に鳴り響く。拓也はスマートフォンを手探りで掴み、アラームを止めると同時にメールを確認した。上司からの深夜の連絡。取引先の急な要望。胸がざわつく。
まだベッドの中にいる妻と小学6年生の娘の寝息を背に、拓也は静かに起き上がり、シャワーを浴び、スーツに袖を通す。リビングに降りると、テーブルには妻・美紀が用意した朝食が整然と並んでいた。湯気を立てる味噌汁、焼き鮭、温かい白米。しかし拓也は「時間がない」と呟き、コーヒーだけを口に含む。
「パパ、今日、学校で授業参観なんだけど・・・」娘の由奈が控えめに声をかけた。「悪い、今日は無理だ。会社で大事な会議があってさ。」拓也は苦笑いを浮かべて答える。由奈の表情が一瞬曇ったが、彼は気づかないふりをした。玄関を出るとき、美紀が後ろから声をかけた。「いってらっしゃい。・・・体、気をつけてね。」
拓也は振り返らずに手を軽く振り、ドアを閉めた。電車に揺られながら拓也は考える。家族との時間は大切だとわかっている。だが、会社での立場も、収入も、彼らを守るためには欠かせない。「今は耐える時期だ。家族も理解してくれているはずだ。」そう自分に言い聞かせ、スマホを握りしめた。しかし、胸の奥にわずかな罪悪感が芽生えていることを、彼は認めようとはしなかった。
揺らぐ日常
その日の夜、拓也が帰宅したのは24時を過ぎていた。玄関を開けると、リビングは暗く静まり返っている。美紀と由奈はすでに寝室へ。食卓にはラップがかけられた夕食がひっそりと置かれていた。
「・・・まただな」自嘲するように呟き、冷えた味噌汁をレンジに入れる。翌朝、新聞を広げながらコーヒーを飲んでいると、美紀がふと告げた。「ねえ、今年のお正月、わたしの実家に行かない?」「・・・え?」「最近ずっと忙しそうだから、拓也もリフレッシュになるかなって。お母さんも、由奈に会いたがってるだろうし。」
拓也は新聞から視線を上げずに答えた。「年末は決算期で無理そうだな。俺だけ行けないけど、二人で行ってきて。」美紀はしばらく沈黙した後、寂しげにうなずいた。その週末、ふとしたことで由奈の部屋を覗いた拓也は、机の上に置かれた画用紙に目を止めた。そこには三人の家族が笑顔で描かれていたが、拓也だけが薄い鉛筆の線で、輪郭がぼやけていた。胸が締めつけられる感覚。
「・・・これ、由奈が描いたのか?」返事はない。由奈はイヤホンをつけたまま、うつむいていた。会社に向かう電車の中でも、あの絵が脳裏から離れなかった。自分は家族を守るために働いている。しかし、その「守る」という言葉は、今も本当に成り立っているのだろうか?気づけば、家族との距離は目に見えない川のように広がっていた。
気づきと選択
12月29日。会社は仕事納めだったが、拓也は上司に頼まれ、取引先との打ち合わせに出ていた。打ち合わせが終わると、ふとポケットのスマホが震える。美紀からの着信。出ると、焦った声が響いた。「由奈が・・・急に高熱を出して・・・病院に連れていくけど、今どこ?」「えっ!? 今すぐ帰る!」拓也はタクシーを飛ばし、帰宅した。
リビングには青白い顔で横たわる由奈と、その手を握る美紀がいた。「大丈夫、もう落ち着いてきたわ。」美紀の言葉に安堵した瞬間、拓也の胸に込み上げるものがあった。自分は何をしていたのか?家族がこんなに不安な思いをしているときに、自分は取引先に頭を下げていたのだ。
その夜、拓也は眠れずに天井を見つめていた。家族を幸せにするために働いてきたはずなのに、いつの間にか家族を犠牲にしていた。「もう、同じ過ちを繰り返したくない・・・」拓也は静かに決意した。翌日、初めて自分から上司に申し出た。「年末年始は家族と過ごしたいので、妻の実家に行こうと思います。」電話の向こうで上司は一瞬黙ったが、「・・・わかった」と短く答えた。
再びつながる時間
大晦日。拓也は車を走らせ、美紀と由奈を連れて妻の実家へ向かっていた。車窓には雪景色が広がり、真っ白な世界が静かに過ぎていく。助手席で美紀が微笑む。「ありがとう・・・一緒に来てくれて」後部座席の由奈は毛布に包まりながら、うっすらと笑顔を見せた。
実家に到着すると、義母が満面の笑みで迎えてくれた。「まあまあ!拓也さん、来てくれたのね!」温かな声と香ばしいお雑煮の匂いが、冷えた体を優しく包み込む。夕食後、炬燵でみかんを食べながら三人でテレビを見ていると、由奈が小さな声で呟いた。「パパ、来年は一緒に初詣行こうね」「もちろんだ」拓也は即座に答え、娘の頭を優しく撫でた。
窓の外では静かに雪が降り続けている。その光景を眺めながら、拓也は深く息を吐いた。これまでの自分は「家族を守る」という言葉の意味を履き違えていた。守るとは、共に時間を重ね、心を寄せ合うことなのだ。その夜、拓也はふとスマホを手に取り、会社からの通知をすべてオフにした。そして、初めて心の底から穏やかに笑った。・・・この瞬間こそ、自分が求めていた「シアワセ」なのだと、確信しながら。
あなたが幸福だと思うことは?
人生における「シアワセ」というものは、実に多様で、人の数だけ形があります。今日のお話では、家族との時間がシアワセだと気づいた拓也さんのお話です。拓也さんは、仕事に没頭するあまり、気づかぬうちに大切な家族との距離を広げてしまいました。
しかし、娘の体調不良という出来事をきっかけに、自分にとって本当に大切なものが何なのかを見つめ直し、家族との時間を取り戻しました。「家族との温かい時間」が幸福の源泉となる一つの例です。しかし、これはあくまでも一つの物語であり、すべての人に当てはまるわけではありません。
ある人にとっては、家族よりも「夢中になれる仕事」こそが生きる喜びかもしれません。また、孤独を愛し、自分の世界に没頭する時間を大切にする人もいるでしょう。「お金の余裕」や「健康な体」、「自由な時間」など、幸福感を形づくる要素はそれぞれ異なり、時には人生の中で変化していくこともあります。
「私自身にとっての幸福とは何だろう?」そう問いかけてみると、必ずしも明確な答えはすぐには出ません。ただ、自分が心から笑顔になれる瞬間を思い出してみると、それがヒントになる気がします。たとえば、美味しいコーヒーを飲みながら好きな本を読む時間かもしれません。あるいは、誰かに感謝され、役に立てたと実感できるときかもしれません。
そのように「これがあれば、自分は幸福だ」と思えるものを一つずつ見つけていくことが、人生を豊かにする第一歩なのかもしれません。同時に、僕たちが抱えている「問題」に目を向けることも大切です。仕事のストレス、人間関係の軋轢、経済的な不安、健康への懸念・・・これらが心を重くし、幸福感を感じにくくしてしまうことがあります。
もし今、あなたが幸福を感じられないとしたら、その原因となる「問題」をひとつでも解消できたなら、人生は少しずつ変わり始めるかもしれません。まずは、あなた自身に問いかけてみてはどうでしょうか?
「自分はどんなときに幸福を感じるのか?」「その幸福を妨げているものは何なのか?」そして、「それを乗り越えるために、今どんな一歩を踏み出せるのか?」。人生は一度きりです。あなた自身が心から笑える人生を描くために。