本日、9月11日で誕生日を迎え、僕、真田孔明は「48歳」になりました。2004年8月、僕が27歳の時に、上場企業に勤めるサラリーマンとしての傍ら、「真田孔明」としてインターネットでの活動をスタート。あれから21年の歳月が流れました。
その間、本当に色々なことがありました。良いことも悪いことも含め、たくさんの経験をしてきましたが、時が過ぎるのはあっという間だった、と感じています。昨年の3月には、実の父が他界しました。
父はずっと「サラリーマンとして頑張り続ける」と言っていました。僕が幼い頃、家族でスキー旅行に行くほど仲の良かった同期が、父の勤務していた会社でトップに就任した幸運もあり、高い役職に就いたまま、70歳まで働ける環境に恵まれていました。
しかし、その願いが叶うことなく、父は59歳の時に突然倒れました。会社で勤務中に心臓の大動脈剥離を発症し、救急車で病院に運ばれました。成功率わずか10%の難易度の高い手術を受け、奇跡的に生還したものの、現場で働くことはできなくなり、会社の顧問として復帰しました。その後も次々と体調を崩し、2度目の入院、手術を経て、完全にサラリーマン生活をリタイアしました。
父は「70歳まで働き続けたい」と言い、「戦場で立ったまま死にたい」という願いもありましたが、そのどちらも叶えることなく、その後も6回の大手術を繰り返し、73歳で他界しました。父の40代後半からの体型は、僕自身と似ているところがあり、「もしかしたら、僕も父と同じように59歳で働けなくなってしまうのではないか」と、 リアルな恐怖を感じています。
今、48歳となり、残された年月はたったの11年間。その短い時間をどう過ごすのか、僕自身の人生計画を見直し、改めて考える時期が来たと感じています。父が働けなくなった59歳まで、あと11年。それまでに僕が何を成し遂げられるのか。残された時間をどう使っていくのか。
今後の人生に対する計画を、これからしっかりと立てていかなければなりません。時の流れは早く、その恐怖を感じつつも、今の僕にはまだ、11年という時間があります。その時間をどう過ごすか、決断する時です。
**「子孫繁栄」の礎を固めるために**
僕自身も「59歳」という年齢を、一つの人生の節目として捉えるようになりました。あと11年で僕はその年齢に達します。この短くもあり、長くもある時間をどう過ごすべきか、僕は明確な計画を立てることを決意しました。
まず、僕が最優先にすべきは、娘たちへの「教育」と「継承」です。これからの11年間、4,015日という時間をどう使って、娘たちが自分の力で未来を切り開けるように導いていくか。それが、僕の人生における最も大切な課題だと考えています。
僕がこれまで築いてきた不動産や金融資産、ビジネスのノウハウを、彼女たちにしっかりと引き継ぐための準備を、この時間の中で着実に進めていく必要があります。僕が所有している不動産の名義を書き換え、生前贈与という形で資産を娘たちに移すことは、単なる手続きに過ぎません。資産を手にしただけでは、よくある「二代目」のように、資産を無駄に使い果たしてしまう恐れがあるからです。
そのため、彼女たちに単にお金や資産を渡すだけではなく、「考え方」を継承することが最も重要だと感じています。僕がメンターから教わった『成功シンドロームOS』という、無敗の思考法。この「成功するための考え方」を娘たちに伝え、しっかりと身につけさせることが、最優先のミッションです。
長女が15歳、次女が13歳という年齢でのスタートは、少し遅かったかもしれません。僕自身の不甲斐なさもあり、もっと早く始められたら良かったとは思いますが、それでもまだ時間はあります。昨今、彼女たちが勝ち取れた第一志望の大学への合格。「大学受験合格」は、あくまで彼女たちにとって最初のステップでしかありません。
そこから先、さらに多くのクエストを用意し、それらを逆算して計画し、目標達成を可能にする力を、今後の11年間で養っていくつもりです。例えば、「お金の教育」もその一つです。僕が娘たちに伝えたいのは、「もらったお金に手を付けたら負けだ」という教えです。
資産を消費や浪費に使うのではなく、受け取った資金をうまく活用し、さらに自分の力で増やす術を学ばせることが重要だと考えています。彼女たちには、与えられたものを活かし、自らの手で豊かさを築いてもらいたい。
そして、11年後、長女が32歳、次女が30歳になる頃には、僕の知識や経験を超え、自分たちの力で未来を切り開ける存在になっていてほしいと願っています。「方法論」だけを教えるのではなく、「考え方」を継承することが、何よりも大切です。
お金の稼ぎ方や増やし方はもちろんですが、それ以上に、どう生きるか、どう考えるかが成功への鍵です。僕自身が培ってきた『成功シンドロームOS』という思考法を、様々な形で彼女たちに伝えながら、彼女たちが独自の道を歩めるようサポートしていきます。
11年後、僕は59歳を迎えます。その時、もし僕が健康に不安を抱えることなく、まだ働ける状態であれば、それは非常に幸運なことです。しかし、父の姿を見た今、いつかその時が来るという覚悟もあります。だからこそ、残された11年間をどう過ごすかが重要なのです。
僕は、娘たちにすべてを継承し、彼女たちが自立した存在として生きていける礎を築いていきたい。それが僕の最大の使命であり、何よりも重要な「子孫繁栄」の基盤だと思います。
100人の「お金持ち」を創出するために
僕が48歳を迎えた今、この人生の節目において、これまで積み重ねてきた経験と知識を、子どもたちだけでなく、僕の仲間たちにも継承する必要性を強く感じています。子どもたちへの「教育」と「継承」がもちろん最優先ではありますが、それと並行して、仲間たちへの継承活動にも力を入れ、さらなる成果を上げていくことが、僕自身の使命の一つだと確信しています。
10年前に初めて公開したメンターである大富豪一族直伝の「北の物販大富豪の戦略術」から、仲間たちとの歩みは始まりました。当時、僕が提示した戦略に賛同し、共に行動を開始した仲間たちが今、次々と成果を上げてきています。
具体的な実行を始めて以来。現在までに、約100名以上の方がこの戦略を実行し、成功の道を歩み始めています。僕が掲げる一つの基準は、「お金持ち」、すなわち「金融資産5億円」という目標です。もちろん、全員がすぐにこの目標を達成できるわけではありませんが、すでにその基準を突破した人もいれば、そこに向けて着実に進んでいる人もいます。
最近では、18億円を超える資産を築いた方や、8億円、5億円を超えた方々もいます。また、金融資産1億円を突破した方も増えてきました。その一方で、多くの仲間たちはまだ3,000万円〜5,000万円前後の金融資産に留まっています。
それでも、「大人の教育活動」の成果は確実に現れており、彼らの成功の道が少しずつ形作られています。彼らが僕の言葉を信じて、真剣に取り組んできたことは、何よりも僕にとっての誇りです。やるからには、最低でも「金融資産5億円」を達成し、真のお金持ちとなってもらいたいと強く思っています。
僕が持っている知識や経験は、そのための道筋を示すものであり、そのロードマップはすでに体系化されています。この10年間の取り組みの中で、ゼロからスタートした人々が、具体的にどのようにして5年から10年の期間で「金融資産5億円」を達成できるかという、詳細なプロセスが完成済みです。
そして、最近では、取り組みを始めたばかりの人たちさえも、「見えてきた」と言ってくれるようになりました。「金融資産5億円」への道筋が、彼らにとっても明確に見えてきたのです。この成果は決して僕一人の力ではなく、僕のメンターであるマスターヒロさんの教えのお陰です。
師のメンタリングを通じて、「考え方」を変え、「やり方」を変えるだけで、学歴や職歴、性別、年齢、才能に関わらず、誰もが目指せる目標であることを証明してきました。凡人であっても、正しい方法と考え方を持って行動すれば、成功への道は必ず開けます。
もちろん、僕にはこの世の中のすべての人を変える力はありません。しかし、僕が残された11年間を費やすことで、最低でも100名の仲間たちには、「金融資産5億円」を突破し、本物のお金持ちになってもらいたいと強く願っています。
飛行機には残りたったの300回しか乗れない・・・
人生の後半に差し掛かっている今、ふと自分がこれからできることや、限られた時間で成し遂げるべきことを強く意識するようになりました。これまで僕は、「金融資産目標」を若い頃に計画し、すでにその目標をクリアしてきました。
しかし、達成したからといって、そこで止まるわけにはいきません。今の僕には、子どもたちや仲間たちに「教育・継承」という大きな使命があります。ただ、僕が講義をするだけの「ご隠居」のような立場にいては、誰にも響きません。
実際に自分がプレイヤーであり続け、自ら挑戦し続ける姿を見せることが、彼らに最も大きな影響を与えると信じています。だからこそ、残された11年間は僕自身がガチガチのプレイヤーであり続け、挑戦者として立ち向かっていく覚悟を持っています。
その挑戦の中には、「子どもの教育・継承」だけでなく、「株式投資」、「会社経営」、「資産性の高まるモノ」の攻略があります。それらを完全に攻略していく中で、僕は自分自身の体験を通して生の声を発信し、仲間たちや次世代のプレイヤーたちにリアルな情報を伝えていきたいと考えています。
挑戦者としての姿勢を貫くことで、説得力のある情報発信ができ、同志たちの力になれるはずです。もちろん、その挑戦の合間にも、「お金・時間・場所の自由」を維持することは重要です。僕は引き続き「南国三角形」として、ホノルル、ジョホールバル、セブを中心に海外を渡り歩くライフスタイルを続ける予定です。
これが僕の「自由」を象徴する生き方であり、そんなライフスタイルを続けながら挑戦を続けたいと思います。しかし、ここでふと思い出すのは、父のことです。父は仕事をしている間、頻繁にアジア各国を飛び回り、飛行機での出張を繰り返していました。
ところが、59歳で倒れてからは、二度と飛行機に乗ることができませんでした。その姿を目の当たりにした僕は、「飛行機に乗れるのも、元気に飛び回れるのも59歳までかもしれない」と感じるようになったのです。
そう考えると、僕の人生で飛行機に乗る機会も残り少ないかもしれません。計算してみると、約264回です。11年間、毎月1回のフライトを往復すれば、合計で264回程度のフライトしか残されていないということです。この数字を見ると、何とも言えない気持ちになります。一回、一回のフライトが、貴重な体験であり、二度と戻らない時間なのです。
そんな風に思うと、飛行機で提供される機内食でさえ、これまで何気なく食べていたものが、急に特別に思えてきます。「人生で残り264食しか機内食が食べられない」と思えば、あの味気ない食事ですら、美味しく感じるかもしれません。
人生のすべての瞬間が限られたものであり、それを大切に味わうべきだと感じています。「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い」という言葉があります。本当にそうだと思います。
僕が「59歳」を迎えたとき、振り返って「本当に短い人生だった」と良い意味で思えるように、この11年間を全力で生きていきたいと決意しています。これからも、叱咤激励やご指導、ご鞭撻のほど、どうかよろしくお願い申し上げます。